※ギャリーが鬼で偽ャリーが妖狐的なあれやそれ
それはほんの気まぐれだった。罠に掛かり、ぐったりと倒れていた狐を見付けた。普段なら何とも思わなかったのに、何故だかその日は可哀想だと妙に良心が騒いでその罠を解いてやった。
あの力無く倒れた狐の瞳が助けて、と叫んでいるように見えたせいだろうか。
鋭い罠に挟まれた足は狐の毛皮を赤く染め上げちらりと見えた肉は酷く痛々しい。
助けた序でに近くに生えていた薬草を揉み込んで貼ってやる。その上から頭に巻いていた手拭いで縛ってやれば少し落ち着いたのか、ゆっくりと体を起こした。
「アタシがアンタみたいなの助けるの珍しいのよ。気まぐれに感謝しなさい」
狐はわかっているのかいないのか、感謝の気持ちを表現するように何度も頬を舐めてくる。
「いいから、もう行きなさい。もう捕まるんじゃないわよ」
言い聞かせるように頭を撫でてやれば、少しぎこちない動きではあったがしっかりとした足取りで歩いて行く。
何度も何度もこちらを伺うように振り返るから、さっさと行けと手で追い払った。
「さて、帰らなきゃ」
手拭いが無くなった頭に触れる。そこには先程まで隠されていた硬く尖った角が生えている。
それ意外の見た目は殆ど人間と変わりないが、人々は鬼だ、と叫び何もしていない自分達を迫害する。
人間よりも力は強い、あらゆる感覚も優れているだろう。しかし鬼から人間に何かをした覚えは無いのに、人間は自分達と違うという理由で鬼を弾き飛ばすのだ。
人間に見つかったとて逃げ切るのは容易い。しかし無意味に怖がらせるのは本意ではないので、さっさと引き上げる事にした。
里に帰る途中、鬼の鋭敏な耳に幼い悲鳴が飛び込んでくる。そっと気配を探れば小さな人間が、自分の同族に囲まれていた。
あまり柄の良くないそいつらは、たまたま迷い込んできた幼い少女に普段迫害されている鬱憤をぶつけようとしていた。
ただでさえ力の強い鬼であるのに、幼い少女が殴られれば一溜まりもないだろう。
一部の野蛮な奴らのせいでこれ以上畏怖の対象になるのは御免だった。
「あーらなんだか楽しそうな事してるじゃなーい」
「誰だ!!」
答えず、1人を蹴り飛ばす。完全に不意をついた一撃は、的確にそいつの意識を刈り取った。
震える少女を背に庇い、動揺の走る連中にもう一撃食らわせる。
「がっ」
強く睨みつける。
「あら、みーんな見覚えのある馬鹿面ねぇ。長に丁寧に報告しておくけど、いいのかしら」
少女に怒りをぶつけようとしていた小心者達は長という強い立場を引き合いに出され、怯んだ。どうしようもない同族の姿に内心の怒りを抑え、一喝する。
「さっさとそいつら連れて里に帰りなさい!里から追い出されたいの?」
気を失った者達を抱え、ばたばたと逃げ出すそいつらの背を見送った後に漸く振り返った。
「…馬鹿どもがごめんなさいね。怖かったでしょう」
「おに…」
しまった、今日は手拭いが無い。だが鬼の里に近い場所に人間を置いておけばまた襲われるかもしれない。
「そう、鬼。あいつらと同じね。でも、アタシは襲わないわ。ちゃんと他の人間がいる場所まで送り届けてあげるから」
襲われた後に信じてくれるだろうか、と不安が過ったが少女は大きな瞳を瞬くと小さく頷いた。
「じゃあ、おいで」
手を広げると小さな体がおずおずと近付いてくる。それを軽々と抱き上げると人里まで駆け出した。
「それにしても鬼の里の近くまでくるなんて、随分と深い場所にきたものねぇ」
「初めて、お使いたのまれて。そしたら迷って…」
ふと、少女の着物を見ると随分と上等な物を着ていた。手を見るとやはり労働をした事のない荒れを知らない手で、人間の中でも随分と上流の家系の生まれなのだろうと伺い知れた。
農民程度なら幾ら幼くとも大事な労力として駆り出される。
「あんた、いいとこの子でしょう。なんで1人でお使いなんてするのよ。付き人とかいないの」
「私が全部要らないって言ったの。そしたら、迷って…」
ぼそぼそと答える少女は顔を俯けてしまう。初めてのお使い、付き人も無しにやり遂げた達成感が欲しかったのだろうか。
ぬくぬくと暮らしていればいいものを、世間を知らぬが故に少女は危険に身を晒したのだ。
「…次から付き人連れてきなさい。またあんた、鬼に襲われるかもしれないし世の中怖いのは鬼だけじゃないのよ」
「お兄さんは、優しいよ」
ぱた、と足が止まる。抱えた少女をまじまじと見つめれば印象的な大きな瞳が見つめ返してきた。
「優しい?アタシが?」
「助けてくれたし、注意もしてくれたから」
微笑む少女に、むず痒くなってまた駆け出した。人間の少女にそんな事を言われるとは思わなかった。恐れられるだけだと思っていたのに。
「私、イヴって言うの。お兄さんは?」
「……ギャリー」
「ギャリー…」
確かめるように呟かれる自身の名に、妙に胸がざわめいた。
漸く人里の近くにやってくると、足を止める。
「これ以上は見つかっちゃうから近付けないわ。イヴ、道わかる?」
こくりと頷く少女を降ろしてやる。
「ありがとう、ギャリー」
「……ええ」
人間に礼を言われる日がくるとは思わなかった。なれない感覚に戸惑う。
「ギャリー、あのね。また、会いたい」
「…アタシは鬼よ?」
「でも、いい鬼だよ」
少女は結っていた髪を解くと色鮮やかな赤い髪紐をギャリーに差し出した。
「また会う、約束。」
「約束…」
少女はギャリーの小指に髪紐を結び、微笑んだ。
「……向こうにある川、知ってる?」
「……?うん」
「新月の日、そこに居るわ。アンタが来るのかは知らないけど…じゃあね」
ぱあ、と表情を輝かせた少女に背を向け、走り出す。
初めて人間に礼を言われた。穏やかに名を呼ばれた。約束をした。
小指に巻かれた色鮮やかな約束の証が酷く輝いて見える。鬼と人間の約束なんて、不思議だった。
既に新月の日を心待ちにしている自分に気が付いて、ギャリーは苦笑した。
朝の静寂はけたたましい音に切り裂かれる。どんどん、と戸を叩く音に飛び起きて不機嫌に髪を掻き回す。
「なんなのよ、もう…」
纏わり付く眠気を引きずりながら戸を開ければ、そこには鏡があった。
否、鏡に映したかのように自分とそっくりな顔があった。
違いがあるとするなら、ふさふさと触り心地の良さそうな耳がそっと乗せられていることだろうか。それ以外はそっくりそのまま、同じだった。
「な…、アタシ…!?」
「やっと見つけた!!命の恩人様!!」
同じに顔に飛びつかれて、ギャリーは硬直する。これは夢だろうか。起きたと思っていたが、自分はまだ眠り続けて奇怪な夢を見ているのかもしれない。
硬直したまま静かに現実逃避をしていると、そいつは漸く体を話してにっこりと笑う。
「名前!!名前は!!」
喧しい声にああ、これは現実かとぼんやり思えばふわふわの耳が嬉しそうにぴこぴこと揺れる。
そういえばこんな毛並みを数日前に見なかったか。記憶を手繰り寄せ、嗅いだ覚えのある獣の臭いにはてと首を傾げた。
「…狐の、臭い」
「そう!!覚えててくれた!!俺、アンタに助けて貰って!!お礼がしたくて、顔、忘れないようにこうし同じになって、やっと見つけたんだ!!」
数日前に、自分は罠に掛かった狐を気まぐれに助けてやった。ぐったりと弱っていたあの狐は今は悪趣味にも自分と同じ顔で、随分と騒がしい。助けた事をほんの少し後悔してギャリーは溜息を吐いた。
「名前、ねぇ、名前教えて!!」
「…ギャリーよ。アンタ、何しにきたの」
鬼の里は人間以外のものになら案外開けている。そうでなくとも自分と同じ顔なら入る事は容易いだろう。
名前を聞いたそれは何がそんなに楽しいのかぴょんぴょんと跳ねて笑った。
「ギャリー!!俺、ギャリーと一緒に居たくて、ここに来たんだ!!」
「はぁ?なんでよ。礼なんて要らないから帰りなさい」
「やだ。俺ここにいる!!一緒にいたい!!」
ふと視線を感じれば家の周りに笑みを浮かべた同族達が居る。生温かい視線に居心地の悪さを覚える。
何か色々とおかしな勘違いをされている気がする。自分に化けた狐の腕を取って家の中に引き込む。
入れて貰えた!!と騒ぐ相手にげんなりしながら戸を閉めた。
「わかった!!わかったから、暫く家に居てもいいわ。その代わり約束しなさい。アタシのものを壊さないこと。騒ぎ過ぎないこと。アタシのいう事をちゃんと聞くこと。これが守れなかったら放り出すわよ」
「わかった!!」
ぴん、とふわふわの耳が立ち上がり自分と同じ顔をした狐は大きく頷いた。よほど嬉しかったのか頬は紅潮して耳と同じくふさふさとした尻尾が大きく揺れていた。
「アンタほかの姿になれないの」
「思いが強くないと無理。俺、ギャリーの姿じゃないと嫌だ」
同じ顔に見つめられ、ギャリーは静かに視線を逸らす。この狐はいつまで居る気なのだろうか。
一人暮らしの我が家にこんなに音があふれる事は珍しい。鬼の宿命もあって誰かと関わりを持つのを無意識に避けていたから、こうしてバタバタと騒がしいのが珍しくもあり、楽しくもあった。
「ギャリー、ギャリー」
「なぁに」
狐は無邪気に笑う。
「これからよろしく!!」
アンタいつまで居座る気よ、と言葉が出かかって飲み込む。苦笑を浮かべ、ギャリーは頷いた。
「はいはい。よろしく」
こうして誰かと関わりを持つのも悪くないかもしれない。目の前の狐と赤い髪紐の約束を思い出し、ギャリーは思う。
無意識に浮かぶ笑みを見て、狐は無邪気に微笑んだ。