魔法使いなのに、叶わない魔法。
その呪文が言えない
肉欲は、浅ましい。
大きな溜め息を吐こうとしてから、息を潜める。まだ皆は寝ているだろう。自分の浅ましさに目眩がしそうになるのを耐え、そっとベッドを抜け出しシャワールームに飛び込んだ。
シリウスへの想いを自覚してからだった。夜な夜な彼の夢を見る。それは、とても辛いことだった。結果、よく眠れないし、疲れは溜まるし、シリウスへの罪悪感で彼の顔を見ることができないし、全く以ていいことがない。
「朝風呂か?」
考え事をしてたら頭から水を被ってしまっていて結局全身を洗うはめになっただけだったのだけれど、シャワーを出た所にシリウスが立っていて酷く驚く。水を被っていたのがバレると彼は煩いから、曖昧に笑って逃げようとしたら捕獲されてしまった。
「うわっお前冷たい!」
「熱かったんだ!」
「そんな訳あるか!」
むにー、と頬を両手で挟まれる。シリウスの掌から熱が滲んで温かい。
「…唇…真っ青…」
そう言うと彼は予想外の――ある意味想定内の――行動をした。僕の冷えた唇を温めるように彼のそれが触れたのだ。――半分は、シリウスのせいだと思う。僕は人琅で、その負い目から他人との接触が酷く億劫だ。シリウスやジェームズはわざと僕にさわる、抱きつく、キスをする。手の甲、頬、髪の毛、彼等の唇が僕に触れる度最初の頃は罪悪感でつぶれてしまいそうだった。
ジェームズは、さすがに唇にはほとんどキスをしてこない。以前はあったけれど、シリウスが俺はお前と間接キスがしたいんじゃない!と言って――ジェームズは大爆笑だったが――から、その機会は格段に減った。
啄むように数度キスをされて、さすがに恥ずかしくなって首を振る。今度はまだ濡れる髪へと彼のキスが落ちる。目の前は、彼の喉仏だ。誰より透明な彼の澄んだ肌は美しい。いつもやられてる仕返しだ、とばかりに、彼を引き寄せて、その喉元にキスをした。
「…っ、り…ます……」
瞬間、シリウスの身体がカチンと固まった。いけないことをしてしまったと察する。出過ぎた真似だ。空気を変えた彼に戸惑い声を発せずに居る僕めがけて、シリウスが―――
「違う違うシリウス違う!」
ぐいー、と彼を止めたのはジェームズだった。
「スイッチ入ったのお前だけだから。おはようリーマス」
チュッ、と頬にキスをされ、おはよう、と返す。策士な彼は何時から起きていたのだろうか。とてもじゃないが恥ずかしくて聞けそうにない。
シリウスは大きく溜め息を吐いて僕をはなした。ジェームズはからかうように頬にキスをして、ふたりはじゃれる様に取っ組み合う。そんな二人を見ながら、どきどきと高鳴る胸を押し潰す。浅ましく、愚かで、高望みだ。夢に出るシリウスと重ねないように頭を振る。お前の幻想を彼に押し付けるなんて気色悪い。
自嘲の言葉を溢れさせて、愚かな勘違いを呑み込むのだ。
シリウスがまた告白されたらしい。今年に入って、もう両手じゃ足りない。去年までは稀に付き合うこともあったのに、今年は全てを断っているようだ。本命でも居るのかなぁ、とひとりごちた僕の声を拾ったジェームズはにんまりしていたから、きっとそう言うことなのだろう。
ジェームズだけが知っているのだ。そう思うと、もやもやとしたものが胸を圧迫した。嫉妬だなんて、僕が抱いていい感情じゃない。秘密を共有しようといったって、僕だってこの感情を隠しているのだ、お互い様だ。
よいしょ、と背伸びをして上段にある本に手を伸ばす。しかし、目的の本以外も飛び出てきた。懐の杖を取り出すのも間に合わない。衝撃に備えて目をつむるも、その瞬間は一向にやってこなかった。
「……お前、本当にどんくせぇな」
代わりに降ってきたのは聞き覚えのある声。仰ぎ見れば、本を押さえたシリウスが居た。
「シリウス、ありがとう」
「杖を使えば直ぐだろ」
「背伸びしたい年頃なんだ」
えへ、と笑えばシリウスは肩を竦めて、変なやつ、と笑った。同じ年なのに、シリウスの手足はするりと美しい。黒い髪は他の色を許さない。羨ましいようで、でも自分がこの美しさを手にしても使いこなせないなぁ、とも思う。
「…どうした?」
「シリウスは綺麗だなぁって」
むちゅ。
本棚の影にかくれてキスされた。今、このタイミングで!?固まっていると、悪い、と謝られた。よくわからない。シリウスはばつが悪そうにくしゃくしゃと僕の髪を混ぜた。
「でも、リーマスも悪いんだからな」
「う、うん、ごめん」
「謝るなって!」
悪いといったり謝るなと言ったりもう本当にわからない。俺、戻るわ、と言ってシリウスは消えていく。一体何しに来たんだろう。キスだけされて、どきどきだけして。シリウスに掻き乱されて、心が休まらない。
ただ、意図はわからなくても、触れたこの唇の暖かさだけは、僕の宝物にしようと思う。
「勘違いしてると思うよ」
ジェームズの声だった。体調が悪くて部屋で眠っていた。いつのまにか夜になっていた様だ。もう一人の気配、間違いなくシリウスだろう。勘違い?耳をそばたてる。
「勘違い?」
「リーマス」
「何を勘違いするんだ」
「君の好意を、だよ」
ジェームズの言わんとしていることをシリウスは察したようだ。勘違い?僕が?どきどきと胸がなる。シリウスが、僕のことを大事に思ってくれているのはわかってるけれど、それ以上だとは思わない。いや、思えない。だって、僕は、人狼で。そんな自嘲をしながらも、シリウスの言葉を待つ。期待していたわけではないけれど、シリウスはなんて答えるのか気になった。
「……いいよ、勘違いさせとけば」
「お前はそれでいいわけ?」
「仕方ねぇだろ」
つまり、シリウスが僕に優しいのは、そんなつもりもなにもない、そしてこいつ勘違いしてるな、と思って接していたと言うこと?顔から火が出そうだった。
息を殺す。二人が出ていくのを祈った。今見られたら、こんな顔を見られたら、僕は惨めで二人の友達では居られないだろう。少しばかり、忘れすぎていたのかもしれない。自分の立ち位置を。なんとか二人が部屋を出るまで、嗚咽をこらえることが出来た。
「リーマス、どこに居たんだよ」
夕食も終わる時分、飛び込みで食事に来た。見つからないように隅っこで食べようと思ったのに、シリウスは目敏く見つけて近づいてきた。とっくに食べ終わって居ただろうに、僕を待っていたのかと思うと胸がいたい。ジェームズの顔をうかがってしまう。やれやれ、そんな感じの顔に背筋が凍りそうだった。
「…ちょっと、体調が、悪くて」
「なんで早く言わなかったんだ?大丈夫か?」
心配そうに覗き込んで来る視線を避ける。それを不審に思ったのか、シリウスの手のひらが僕のほほに触れた。――――これで、勘違いするなって?こんな僕にためらいなく触れてくる手を、勘違いせずにいられようか!その手を弾けば、シリウスが息を詰めたのがわかった。
「ごめ、ん、やっぱりご飯いいや」
「お前、どうした?」
「気分が悪いんだ、構わないでくれ」
冷たい言葉になってしまった自覚はある。でも、このまま、この穏やかな関係が続いたら、どうにもならなくなってしまう。シリウスが僕にだけ甘いと思っていたのは、人間関係を知らないからだ。友達なんて居なかったから、距離感がつかめなかっただけ。
「リーマス?」
そんな優しい声で呼ばないでくれ。
押し退けて逃げ出したのに、シリウスは簡単について来る。
「待てよ、リーマス、どうした?お前変だぞ、」
「追い掛けてこないで、シリウス、僕は今気が立ってるから、」
「なんでだよ!」
簡単に捕まった。ああ、こうやってシリウスはすべてを手に入れて生きてきたのだ。僕とは違う。蓋をしなければならない感情が溢れる。嫉妬なんて、醜い。肉欲は、浅ましい。君へと向ける感情は汚いものばかりだ。魔法使いなのに、魔法じゃどうにもならないことが多すぎる。
「勘違いさせないでくれ!」
殆ど抱きすくめられるような格好で僕は叫んだ。これを言ったことにより僕らの関係が歪んでしまうかもしれないけれど、日々胸を痛めていきるのには疲れた。
「勘違い?」
「君が、優しいのが、辛いんだ。わからない、距離が掴めないんだ」
「何が言いたい?」
「君を、君が、少しでも、」
唇が震えて言葉にならない。少しでも僕を好きかもしれないなんて、言えない。友達でいられることを感謝しなければいけない。それなのに、僕はそれを壊そうとしている。
「勘違い、勘違い、つい最近もその話……あっお前、まさかあのとき部屋に居たのか!?盗み聞きしたのか!?」
「君たちが勝手に話したんじゃないか!」
「だからそんなによそよそしいのか、それが答えなんだな」
シリウスは目に見えて肩を落とした。どうしてここでシリウスが肩を落とすのかわからない。見上げれば、やはり綺麗な顔。
「俺が―――俺が、お前を好きだってわかって、よそよそしくするんだな」
「…………………ん?」
話が違う?
「男同士だし、そうだよな。悪かった。このまま友達で…」
「シリウス?あれ?友達以外の何になりたかったの??」
「…だから…俺は…お前が好きなんだよ」
「僕だって好きだよ!」
「ほら、やっぱり勘違いしてる。俺は―――」
唇が落ちてくる。
ちゅ、と合わさったキスは、いつもと同じようで、いつもより遠慮がちだ。
「………こう言う意味で、好きだったよ」
勘違い?勘違いを勘違いしていたのかもしれない。魔法使いでも、出来ない魔法がある。言えない呪文がある。でも、もしかしたらこれは―――
「僕も、シリウスが、すき」
「だから、」
「こう言う意味で、」
少しだけ背伸びをして、キスをする。触れたシリウスの唇が震えていたのははじめてだった。離そうとしたら後頭部を捕まれ、急に野獣へと姿を変えた。息も吐かせぬほどのくちづけに足が震える。それごとシリウスは僕を抱き締めた。
「………ずっと、ずっと、言いたかった」
すきだ、すきだすきだ、と、まるでその言葉しかしらないみたいにシリウスは僕を抱き締めた。
魔法使いだから言えない呪文。魔法使いじゃなくても言える呪文。勘違いなんて、もしかしたら僕らはすこしばかり遠回りしたのかもしれない。
今までより近くなった距離感になにかを察したジェームズは、やはりヤレヤレと言う顔で、勘違いじゃなかったのかな?といった。シリウスはそれに牙を剥いて、お前のせいだとつかみかかる。
違うよ、ジェームズのお陰だよ!そう言ってシリウスを止めた僕にジェームズは大笑いして、どんな呪文よりリーマスの待てがきくんだね!と揶揄した。少し困ったのは、シリウスがそれをまんざらでもないように胸を張ったこと位だろう。
END
20131009